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第三章 「 探り合い 」
2008-06-21 Sat 09:21

日が沈みかけた頃、既にクロネとネクラスの僧侶はクラインディアの森に深く入りこんでいた。特に問題は起きず、数人のモーサドゥーク騎士が走り去るのを遠方に確認した以外は、追手にも会わずに済んだ。

だが、クロネは別の問題に対峙しなければならなかった。自身の体力である。朝からほとんど休む事無く歩き通したのだが、恐るべき疲労感を抱いたのである。筋肉痛がその証の一つだが、痛むはずがない筋肉が痛むあたり、この若者は自分が運動不足も甚だしい事に気付かされた。

そもそも、クロネは「腕白」とはほど遠い。少年時代は本の山で過ごし、青年となった後もノスタイナから出る事はなく、2時間以上歩く事など滅多になかった。怠惰であった、と言うほかないだろう。そしてそれはこの旅において、クロネに途方もない障害となった。

それにも増して、クラインディアの森は予想以上に険しかった。生い茂る草木が道を閉ざし、視界から段差や土のへこみを隠した。長旅のための簡易食料も口に合わず、水筒の水は水稲の素材が皮であるせいで臭い。この環境に人体がなじむ事ができるのか、クロネは甚だ疑問に感じた。

だが先頭に立つ黒僧侶は、その疑問をあざ笑う現実をクロネに見せつけた。黒僧侶は明らかに旅に慣れており、この環境になじんでいる。僧侶は一度としてつまずく事もなく、最低限邪魔な草木は短刀で伐採し、まるで生まれ故郷を歩くように悠々と森を進んだ。

どう見てもそれは長い黒装束を着ている者の動きではなく、クロネは劣等感を抱かざるを得なかった。
が、クロネにとっては欠かせざる水先案内人である。この黒僧侶がいなければ、クロネは今日一日だけでも間違いなく10回はこけているだろう。その見え透いた事実が、ますますクロネをいらだたせた。

と、その時。黒僧侶が突然足を止めた。クロネはその背中に危うくぶつかりかける。クロネも僧侶見たく悠々と森を歩ければ、こんな事にはならないのだ。クロネはいらだちを極力抑えながらも、やや咎めるように口を開いた。

「どうしたんだ?」

「トス川だ」

黒僧侶がぞんざいに答える。よくやく着いたかと思いつつ、クロネは黒僧侶の隣に並びトス川を見ようとした。木々の間から、確かにトス川がうっすら見える。細く、そこまで深くない小川だ。

だが、ホッと一息つく事はできなかった。トス川の対岸にモーサドゥーク騎士が4人いたからである。

しかし騎士達は周囲を探索する気は無いらしく、特に周囲を警戒してもいない。小川の辺をうろつき、雑談しているだけである。おそらくクロネを追ってきた部隊ではなく、国境警備に当たっている常備部隊だろう。

「・・・4人なら、始末できん事もないが?」

黒僧侶が全くいつもと変わらない調子で言った。少しは興奮してくれた方が、まだマシである。クロネは少し考えたが、頭より足の痛みが思考の優先権を行使した。

「いや・・・揉め事は極力避けるべきだろう。去るまで待つのは?」

もっともらしい言い訳を即座に前に押し出して、クロネが淡々と言った。黒僧侶は一瞬だけクロネの顔を見たあと、空を見上げた。日が沈むまで、そこまで間はないだろう。

「・・・言っておくが、夜闇は前進の障害とはならんぞ」

黒僧侶がポツリと言った。クロネは今日はここで野営と思っていただけに、驚いた。

「馬鹿な。松明をちらつかせて進めと?」

「私は闇を見通せる。お前は今まで通り後ろから着いてくればいい」

そう言うと黒僧侶は、近くの木の根元に座り込んだ。議論の余地無しとでも言いたげだ。だが、「去るまで待つ」事には同意らしい。クロネも疲れているため、座り心地の良さそうな場所に座った。その動作で足腰が痛む。クロネは頭の中で自分を嘲った。

『我ながら、貧弱な肉体だな・・・。これで防具なんぞ着けていたら、遥か前に倒れていただろう・・・』

しばらく感傷に浸った後、クロネはバッグから食料を取り出した。疲労感が食欲を阻んでいるが、食べておかないと体力が持たない。クロネは細かく切り分けしながら乾パンを食べ始めた。

その時ふと、黒僧侶の視線を感じた気がした。しかし黒いフードの中にある僧侶の顔は確認できない。

「・・・あんたは食べないのか?」

クロネが訊いた。この化物がどのようにして食事をするのか、改めて気になったからだ。食事が必要ないなら、わざわざ持ち歩きはしないだろう。クロネの問いに黒僧侶は黙っていたが、自身のバッグから食料を取り出し、食べ始めた。

この時初めて、クロネはこの僧侶は死霊でも幽鬼でもなく、生きた人間、或いは「顔に口がついた怪物」である事を確信した。やはりフードに隠れて見えないが、口で食べている動作は確認できる。音もたてず、口を大きく開いて閉じている様子もない。むしろ紳士的ですらある。

これだけの事でも、クロネは安堵を感じた。奇怪なものを見るのには慣れていたつもりだが、さすがに幽鬼と共に旅をするなど、文字通り気が気でない。クロネは多少自信を湧かせ、この異形の同行者と改めてコミュニケーションを取ってみる事にした。

「・・・まだあんたの名前を聞いていなかったな。できれば教えて欲しいのだが?」

クロネがいつもの調子で訊いた。ネクラスの僧侶は食事を止め、顔をクロネに向ける。まるで品定めでもしているような目線をクロネは感じた。

「お前は私の名を知る必要があるのか?」

僧侶は冷淡な口調で答えた。

「必要ないなら、知ってはならない・・・とも限らないだろう?」

クロネもやり返す。ネクラスの僧侶はしばらく黙っていたが、クロネから顔を背けて答えた。

「名は、大きな力を持つ。時にはその名を持つ者以上に」

納得のいかない話ではない。クロネは黙って黒僧侶の言葉を聞いていた。

「私はまだ、お前を信用していない。故に、名を告げる気も、聞く気もない」

妙に高圧的で、敵愾心を感じざるを得ない言葉である。実際はそうでもないのだろうが、少なくとも距離を置こうとしているのは間違いない。クロネは次の言葉を待ったが、黒僧侶はそこで会話をやめ、食事を再開した。

『・・・大戦果だな』

クロネは頭の中で呟いた。そしてバッグから干し肉を取り出して均等に千切りながら、今の会話の総括を始めた。例の「自問癖」である。

『こいつはマーギスの人形ではないらしい。自分で考え、行動する・・・人間らしい一面を持っている。信用するしないを決めかねているのがいい例だ。単に剣を運ぶためだけの存在なら、何人も信用しないだろう・・・』

クロネは自身の意見をもう一度吟味すると、一瞬不敵な笑みを浮かべた。

「つけ入る隙は・・・有り得るな」

クロネは導き出した結論に満足すると、再び沈黙の食事を再開した。

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